キラリ~ン☆北海道
「キラリ~ン☆北海道」って… ご説明しますとね
小学生の社会の授業で。
先生が北海道の地名について教えてくれた。
たぶん先生は子供たちに興味を持ってもらえるように授業内容を考えて、いろいろ調べてくれたらしい。
「アイヌ語で、〇〇は牡蠣がたくさん採れるところ、〇〇は大きな川のそば、〇〇は… ~という意味の言葉なのです」
そのなかで「〇〇は、私たちの見つけた土地、という意味」というのがあった。
「私たちの見つけた土地」??
50年前のこの光景を今でも鮮明に覚えているのは、私の中に何かフリクションを残したからなのだろう。
中学生になって、社会科の授業で先生から名指しされ
「北方四島はどことどこか?」と聞かれた。
私は立ち上がってスラスラ答えようとした。
それは、当時の世の中では注意深い中学生なら簡単に答えられるような質問であった。
「はぼまい、しこたん、くなしり、えとろふ、です」
口を開きかけた瞬間、先生はみんなのほうを見渡し
「北方四島は、第二次世界大戦以前は私たちの土地だったのです」
“私たちの土地”……
私の脳裏に、小学生のときのあの「アイヌ語で“私たちが見つけた土地”」という言葉が蘇った。
その土地を見つけた“私たち”でない“私たち”の土地に、いまは違う“私たち”が住んでいるらしい……
フリーズしたままの私を見た先生は、たぶん答えられないと思ったのだろう。
「もういい。座りなさい」
その後どうやって椅子に座ったのか記憶に残っていない。
どうやらそれは、食べて遊んで勉強して寝ればよかった子供時代に別れを告げて、苦悩と禍に満ちた大人の世界に足を踏み入れた瞬間だったようだ。
飛行機が北海道に降り立つとき、車輪が大地にガガッと着く瞬間、なにか後ろめたく思わず下をむいてしまう…… 長じてからそんなことがずっと続いた。
私にとって北海道はそんな場所であった。
もちろんすぐに忘れて温泉やら観光やらに熱中するのだけれど。
2008年の6月始め、軽井沢・小瀬温泉に行く長野新幹線の車中のニューステロップで
「自民党が会議でアイヌ民族を民族として承認」のようなニュースが流れたとき目が落ちそうなくらい驚いた。
「なぜにいまごろ……??」
思い当たったのは、洞爺湖サミットが6月にある、ということである。
政治とは、こういうことを、こんなふうに利用するのか……
それから思い出した。
前年の国連総会で「先住民族の権利に関する宣言」がなされたことを受けて、オーストラリア政府はただちにアボリジニの人々に全面謝罪をしたのだ。
何十年も待っていたアイヌの人々にとっては大きな喜びだったことだろう。
北海道着地の瞬間、下を向かなくてもいいのかもしれないと思うと、私も嬉しかった。
しかしあとで調べてみると自民党が承認したものには
「『同化政策』により伝統的な生活が制限、禁止された」という記述が削除されていたという。
謝罪とは、するか、しないか、ということである。
2~3割謝罪します、などということはありえない。
私は怒りを感じる。そして日本人として恥ずかしく思う。
それはともかく、このことは私にとって「解禁!! キラリ~ン☆北海道!」だったのである。
だからいまは、まるみのキラキラリ~ン☆北海道!なんですのよ~(^^)