theoria(テオーリア) まるみの 湯気の向こうに 見えるものを心の眼差しで観想する 小さな旅へのいざない

ブクロ… 時空の旅へ

文字サイズ:

(文字を大きくしたい場合は、右上のボタンをクリック)




  • ブクロ… 時空の旅へ






プロローグ

ラブホな人々

うちの周りって、ラブホが密集してできる前はいったいどんな風景だったんだろう?

ラブホな人々





自分の住んでいるところがかつてどんな場所だったかって、興味ない?
え? ない。 
あ、そう。


ラブホな人々

わたしは今いる場所に引っ越してきて、すぐに思った。
「ここ、かつてはどんなところだったんだろう?」って。
戦前は、池袋から郊外に向かって長崎あたりに、売れない芸術家が集まってたみたいだし。

江戸川乱歩も住んでたしさ~


ラブホな人々

線路の向こう側、つまり山手線のすぐ内側には、もはや営業していないラブホが1軒ある。

ラブホな人々

ふーむ、こっちは流行らなかったのかしらね~
うちの周りはラブホ難民も出る盛況ぶりなのにね。

して私は、うちの周りのたくさんあるラブホって、広範囲にわたってかなりの軒数、経営者もしくは所有者が1人なんじゃないかと踏んでいるの。 
そしてもしかすると経営者は日本人じゃないかも~ とも思っているのだ。


ラブホな人々

そう、ちょっとだんだん興味がわいてきたから、温泉に行かないときは、
これからブクロ界隈を時空を超えてフワフワと旅してみようと思っているのね。





時空の旅 1

ラブホな人々







ラブホ街の一画を過ぎると、住宅地が広がる。

かつて郊外に広がっていった住宅地の面影を残した、古い小さな木造アパートがある。


ラブホな人々







もはや営業していない旅館が残っている。

私が引っ越してきたときにはラブホ街の中にも、いわゆる<木賃宿>と思えるホテルが2軒あったが
いずれも取り壊されて、2~3年前にラブホになった。


ラブホな人々







その<木賃宿>は取り壊されてしばらくシートで覆われていたが、
そこを通りと、あるにおいがした。


ラブホな人々

黴、汗、体臭、水回りの塩素臭、台所の脂臭、そんなものが渾然一体となったような、
すえた、よどんだ重いにおいだった。


ラブホな人々

その<木賃宿>を通過していった人間が、
長い長い時間をかけて建物にしみこませたのであろう。


ラブホな人々

今日は仕事が早く終わり、私は思い立って豊島区立の中央図書館に行ったのである。
豊島区の古い地図を見ようと。


ラブホな人々







これまた最近の東池袋の再開発でサンシャインビルの近くに巨大なビルが建ち、
ちょっと前に図書館はそのビルの4階と5階に入ったのだ。
このビルに入るのは初めて。図書館に来るのもしばらくぶり。


ラブホな人々


ラブホな人々

広大なビルの1階にポツンとインフォメーションのカウンターがあって、おねーさんが2人座っていた。
あいにく本日は図書整理の日で閉館していて入れなかったが、平日は22時まで開館と書いてあって驚いた。


ラブホな人々

図書館をよく使っていたときは、17時で閉館してしまうので本当に困ることがあった。
アメリカの図書館が22時まであいていると聞いて、羨ましかったのを覚えている。

へええ~ 最近は22時まであいてるの~ やっと利用者の立場を考えるようになったんだね~

だが、このでかいビルの箱もの、ぜんぜん有効活用してないじゃん!
ここに私の税金の一部を使ったんでしょー?! 抗議!抗議!!


ラブホな人々

時代は変わるわね~

最近は役所に電話するとやたら愛想がいい。
税金やら保険料を払う段になると、もっと愛想がいい。
「毎度あり~」とは言わぬまでも
呼びかけは「お客様~」で、払い終わると「ありがとうございました~」って言うんだよね。

そう…  変わらざるを得ないってことでしょう。






時空の旅 2

新橋と横浜を結ぶ日本で最初の鉄道が明治5年(1872年)開通した。

民営の日本鉄道・豊島線が開通したのは明治36年(1903年)、池袋、大塚、巣鴨、田端駅誕生。
後に国有鉄道となり、品川線と一本化、明治42年(1909年)に山手線と名乗る。
山手線が現在の環状の形になったのは、大正14年(1925年)だそうである。

東京府北豊島郡巣鴨村大字池袋

豊島線開通時の住所である。大字池袋の特産品は筍だったらしい。

池袋の<袋>という字からわかるように、丘に囲まれた窪地があって袋状の土地に水田があり、地名の語源となったようだ。

明治15年(1882年)、大隈重信が都の西北、つまり郊外に東京専門学校を設立。
宮崎県から上京した若き若山牧水が早稲田に入学したのが明治37年(1904年)。
その後草鞋脚絆で旅する歌人は、いっとき大塚駅のそばに住んだらしい。
楢の木立の合間から見える山手線を見て歌をつくっている。


    麦ばたの垂り穂のうへにかげ見えて 電車過ぎゆく池袋村



嗚呼~ 長閑…





時空の旅 3

このあいだ家賃払うために、昼間マンションの1階に常駐してる大家兼管理人さんの所に行ったのね。
大家さんはほぼ私と同年輩、奥さんは私と同じ年なのよ。
この辺で生まれ育った人なので、家賃払いながらちょっと聞いてみたの。

「この辺のラブホテル、大部分持ち主が同じじゃないんですか?」って。

そしたら
「そうですね、昔のテキヤの親分みたいな人がこのあたりの土地持ってたんですよ。それ以外にも中国とか韓国の人がやってるところもかなりあるね」
(やっぱりね~)

「いまもその方が所有してるんですか?  この辺、ラブホになる前はどんなかんじだったんでしょ?」
「親分がラブホテル造るときに法律で一代限りって規制されたんですが、テキヤの親分の息子は議員になってね、なんか法律の抜け道があるんだろうねえ、まだ続いてますね。ラブホ街になる前は木賃宿がチラホラって感じでした。あ、あそこのソープがかなり早くできたね」
(ふむふむ、<ソープ若葉>ね。きっと昔は<トルコ若葉>っていったんだろうな。ちょっと前に、老朽化した配管の工事をやってたもんね。きっと限界だったんだろう)


大家さんはかなりノッてきた。
「いや~ずいぶん変わったね。私の子供のころはこのちょっと先に池袋警察があって、このあたりは線路沿いであんまり賑やかなとこじゃなかったけど。今じゃ外人も多くなって何が何だかわけ分からなくなりました。
警官とパトカーが多いでしょ?」
「そうですね、かなり巡回してますね」
「ちょっと前に関西からヤクザが進出してきて、えっらい睨み合いをやっててね、北口のレンタルビデオ屋、あの前あたりで」
(レンタルビデオ? あ、ポルノ映画館の隣のレンタルCD屋<GEO>のことか。へえ~ あそこでね…)
「山口組ですか? 抗争とかあったんですか? そもそもこの辺はどこが?」
「この辺、極東ですよ。で、山口組の若いのと道はさんで睨み合ってたね」
「どうなったんですか?」
「いや~ 関西のヤクザはとんでもないのがいるからね、目、三角になったようなのがいて迫力あるから、みんなビビッてたね」
「極東、負けちゃったの?」
「そのあたりで、石原さんが兵庫県警からやり手をこっちに引っ張ってきてこの辺の治安維持強化に乗り出したの。その後は警官が増えて睨み合いも見かけなくなったね」
(ふーん… なにかと評判悪い兵庫県警からね~ やり手をね~
現都知事、ちょっと前に「池袋行ってごらんよ、日本語なんか聞こえないし、きったねーし、日本じゃないみたいだ!」とのたまわったのだ)


大家さんの昔話は尽きることを知らず、このままいくと
「上がってお茶でも」という雰囲気となり、仕事に遅れそうになった私は慌てて退散したのです。



ラブホな人々



かつての<巣鴨プリズン>が現在の巣鴨と離れているのが不思議な人もいるでしょうけど、
かつては巣鴨村だったからね、不思議じゃないんです。

サンシャインビルが建って30年だそうである。
長いような短いような時間である。


ラブホな人々





さしもの西武資本も、絞首刑台を含む<巣鴨プリズン>の跡地を買収、という発想はしなかったみたいで、その跡地は公園となり、死刑台跡に石碑が建っている。「永久平和を願って」みたいなことが彫られている。


ラブホな人々

碑の前には、いつ通ってもだいたいしなびた花が供えられている。

休日にはスケボーに興じる子供たちやコミックマニアでフリル付きの衣装を着た少女や、プリンスホテルに泊まって買い物に出かける中国の人や、ブルーシートを張って裏手の茂みで生活しているおじさんやらがその脇の小道を通るのである。

ラブホな人々

たぶん彼らのだれもが、かつてここがどんな場所であったかは知らないであろう。







時空の旅 4

ラブホな人々

豊島区の中央図書館には、なぜか長谷川利行の画集がわりとたくさんある。なぜ?
熊谷守一つながり??

ラブホな人々

1891年京都生まれ、1921年上京。
日暮里。その後浅草。そして新宿… そして行き倒れ…

浅草と縁が深いから台東区の図書館、新宿の雑踏に漂った人だから新宿の図書館とかならわかるけど、豊島区ねえ… 操作場・田端からも距離があるしね… ブクロは通過点??

浅草の神谷バーで電気ブランをしこたま飲んで酔っ払い、ドヤで暮らし、千住のガスタンク、隅田川の桜、田端の操作場を描きながらブクロを通過して新宿に。
確かに豊島区と縁がないこともなかろう。金の無心の相手は池袋界隈だったかも。

ラブホな人々

私にとって、長谷川利行の絵を観るということは、自分の衰弱度、あるいは充実度を測るバロメーターになる。
精神的に参っているときなど、彼の絵はとても直視できない。

開いた画集の色は記憶にある実物とは程遠くがっかりしたが、
それが風景であれ人物であれ、いつ見てもこちらの眼差しにひそかに鑢をかけられて、目に、あるいは心の隅に、ザワザワとわななきを生じさせる。

添えられた彼の文章からは、どこかホモセクシャルな関係を示唆するような、そして周囲を困惑させたであろうような金銭感覚がうっすらと見えてくる。

ラブホな人々

行き倒れ、収容先の東京市養育院で知人のだれにも看取られることなく49歳の生涯を終え、病院の規則により持ち物はすべて焼却処分となった。

彼が最後まで固執して持ち続けたただ1つの柳行李の中には、おそらく生涯手放さなかった絵が入っていたのではなかろうか。

晩年に描かれた花束の絵は、
卓上に静かに置かれているであろうその花束のその赤の色が、私にはまるで激流に浮き沈みしながら流れているかのように、あるいは疾風怒濤の風に飛び去る瞬間のように感じられた。

私は薄い画集を閉じ、現在の自分の気力がヘタレていないことを感じ、
いい絵を観たあとにくる充実感と共に、ある種のヒリヒリ感を癒すべく猫を抱きしめちゃったりしたのであった。

ラブホな人々

いまやどんどん高くなっている<スカイツリー>   大塚駅から。 







powered by Quick Homepage Maker 4.15
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional