(2011年6月19・20日 1人泊 夕食のみ@6,600円 )
何かを始めるときは、いきいきと忙しくバタバタと、
しかし始めることへの思い入れや情熱やらに支えられ、心楽しく始まっていくことが多い。
人生はどうだろう。
気が付くとなんだか始まっている。
あるいは自我に目覚めたときが始まりか。
しかしそれさえも自覚できずに成長してしまったりするのではなかろうか。
私たちは産まれるときに、事前に選択さえできないのだ。
「あ、顔はもうちょっと目が大きくてパッチリしたタイプ希望。かつ親は中の上くらいの財産所有者希望」とかできたらいいのにね~
森羅万象、そして人生も、終わりはどうかといえば、自身の納得いく終わり方というのはなかなか難しいように思える。
傍目には立派な終わりに映っても、その実はまったくもってわからない。
雑誌も同様で、
鳴り物入りできらびやかに創刊されてもいつの間にやら<今号で休刊いたします>とお知らせが載っていたりする。
<休刊>という曖昧模糊とした言葉を遣っているが<復刊>は殆どなくおおむね終わりであって、その潔ぎ悪さが鼻につく。
私が「アルプ」という雑誌を本屋の裸電球に照らされた平台の上で見つけたのは小学生の頃だった。
グレーの表紙にシンプルな絵、内容も分からず手に取りパラパラとめくってみると、
細かな活字の、小学生が読む雑誌ではないことがわかった。
その後も本屋に行くたびに、その雑誌はある空気、気品のようなものを放って存在していたような記憶がある。
私は自分の街の小さな本屋でたびたび手に取り中身を眺め、いつか買うかもしれないけれど今は買わない雑誌、を、また元のところに戻した。
やがて本屋から平台がなくなり棚ざしになってからも、その雑誌の地味なグレーの背表紙は、けばけばしいたくさんの雑誌の中で静かに屹立していた。
その後私は「アルプ」の存在は忘れてしまったが、あるときなにかのはずみで終刊ということを耳にし、
何度も手に取ってみたが一度も買わなかったその雑誌の存在を思い出し、にわかに興味を持って調べてみるとそれが串田孫一さんが編集されていた山と登山に関する文芸誌で、300号で終刊したことを知ったのだった。
300号という数字から、その終わり方が突発的、無計画なものではなくて、終えるべくして終えたのだということが伝わってきた。
北海道・知床斜里に、この雑誌とこの雑誌の関連物を展示する小さな美術館があり、いつか行ってみたいと思うようになったのは、雑誌そのものへの興味以上に、私にとっての「心惹かれる終わり方」の軌跡が、もしかするとそこで垣間見ることができるかもしれないからだった。
この美術館は、串田孫一氏と雑誌「アルプ」とに思い入れのある、個人の方の運営する美術館のようである。
私は女満別空港から網走駅に、そして釧網線で南下し、知床斜里駅で降りて駅に併設された観光案内所のおねえさんに地図をもらい、
駅から15分ほど歩いて美術館に辿り着いた。
そこは白樺がたくさん植えられたこんもりとした緑の一画で、裏口らしきところからその林を抜けてコテージや小屋の脇を通り建物に向かって歩いていくと、ときどき日がさして木漏れ日がもれ、葉影が地面に揺れた。
元三井農林の社宅だったという木造2階建ての建物は外壁を修理中のようで足場が組まれていた。
玄関の木のドアを開けると、1階の管理室から女性が出てきたので、私は見学したい旨を告げた。
彼女は「2階へどうぞ」と言い、私は靴を脱いでスリッパを履き軋んで音がする階段を上がった。
2階は真ん中に廊下が通りその左右に小さく仕切られた部屋が7~8部屋くらいあり、各部屋ごとに「アルプ」ゆかりの美術作家や作家の本や直筆原稿、そして雑誌「アルプ」、串田孫一氏が使っておられた品々などが展示されていた。
館内はとても静かで、私が歩くと木の床はギシギシととんでもなく大きな音をたてる。
できるだけそっと歩いても、古い木の床は ミシッ ミシッ と軋むのだった。
そんな木の廊下を巡りながらゆっくりと見て回った。
小さな美術館なので、たいして時間はかからない。
このような空間で、1人でひそやかにこんな時間を持てることはとても貴重である。
階下からさきほどの女性が上がってきて
「コーヒーを淹れたのでどうぞ」と、置いていってくれてありがたかった。
空気はまったく動かないけれど澱んではおらず、写真や本を眺めながら、置かれていた小さな縁台に腰掛けてコーヒーをいただいた。
250号を超えるあたりで串田孫一氏が、
「時代が変わり、登山の道具も装備も、登山者の山に対する思いも変化し、そして力のある文章がなくなってきた」ことで、
「アルプ」を300号で終刊する決意をした、というような記述を発見した。
一定の部数が出ている雑誌であったから終刊を惜しむ声も上がったが、氏の決意は変わらなかったようである。
廊下に、「アルプ」創刊から300号の終刊までのすべての表紙が縮小されて3枚のパネルに展示されていた。
毅然とした、美しい300枚の表紙だった。
時代とどう関わるのかということは、生きていくうえでとても重大なことだと思う。
自分自身も含めて、ともすると個人のその意識の希薄になった部分に、怒涛のように時代が逆襲してくる。
まるで…
あの、津波のように…
歳とともに、感性は摩耗する。
それは如何ともしがたい。
使い込んで磨り減ったデコボコの砥石を別の水平な砥石で研いで平らにするように、
まったいらで硬い、上等の砥石のような精神を持ち続けること。
自信はないが…
緊張と弛緩の間を揺れながら、どこかで老化を底抜けに明るく笑い飛ばせること。
ますます自信はないが…
そうやっていまだふんぎり悪く、これからヨロヨロと歳を重ねていくのだろうか。
そんな私の目に映る植物たちはありきたりにさりげなく、しかしなんとパワフルなことよ。
巡る過ぎる時間に乗って、彼らはもし持っているとしたらどんな情念でこの地上に存在しているのか…
人知をはるかに超える。
その驚異。
圧倒されるしかない。
二度とない時の流れの中で。
その生命力。
三陸の津波の跡に、瓦礫の山の中からまっ先に芽を出した春の草々。
被災した人たちを映す映像から聞こえる鶯の鳴き声と、そこに見える鮮やかな草の緑。
ありのままを見ること。
人間はほとんど何もできないのだという事実を。
屈斜路湖はかつて大きく変化した。
今後また変化するかもしれない。
いつそれが起こるかは、人類に予見する力はない。
それは私よりキミのほうが感じているかもね、キンタくん。
繁茂する植物の下に別の繁茂。
そのいでたちは荒々しくさえ目に映る。
帰りはすーさん夫妻に送ってもらう。
次のパークゴルフの試合に思いをはせるすーさん。
2人で車を運転しながら温泉を泊まり歩き、本州縦断して屋久島まで行ってきた仲良し夫婦なのだ。
車を運転したのはすーさんだけだが。
狭い車の中で「喧嘩ばっかりした」というけど、まともな喧嘩ができる関係であるということは健全な夫婦の証よね。
古い切り株の上に、実生で新しくはえた小さな松の木。
ここから気が遠くなるような時間をかけて、一人前の木に育っていくのだ。
そんな膨大な時間を経た木々が山の斜面を埋め尽くしている。
それを目にしていることの不思議。
この風景になるまで、いったいどれほどの時間がかかったのだろう。
そこら辺じゅうこんな風景なのだ。
人間がけして作り得ないもの。
ここにそれがあり、私が風景の一部になっていることの感動。
ソフトクリームのおいしい藻琴山のファームに連れていってもらった。
試食したのち、ゴロンと重いチェダーチーズとスモークチーズ購入。
ここのチーズも、素直な優しい味だった。
今まで食べたことのない味の、チーズ入りのソフトクリーム。
まずチーズの香りがして、食べてみるとチーズの味がする。
甘さはものすごく控えめで、それがチーズの味を際立たせている、ちょっと変わった味のおいしいソフトクリームだった。
カンカン照りの日差しの中、すーさん夫妻に女満別空港まで送っていただき感謝感謝~
飛行機代が安くなった秋に、また三香温泉でお会いするのを楽しみに。
始まりと終わり。
気が付いたら始まっていて、そして繰り返す人類の誕生と消失。 いや終止。 あるいは終焉。
かたや気が遠くなるような限りない数の植物の、幾層もの繁栄と繁茂。
人類が持たない進化の方法を持ち、人類が識るすべのない種の発展を遂げるものたち。
こんなにも違うそれぞれの命の、細胞の小さな振動の1つ1つが、あるとき共振し、うねり、
巨大な束になって、地球上に渾然一体となって放たれていく可能性が…
ないとはいえないと思える。
思いたい。
もしかすると、それは地球という星が本来持っている<希望>であるかもしれないから。
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