晩秋の三香温泉

(2011年11月12・13・14日 2人泊 夕食のみ@6,800円)






晩秋の三香温泉





ミセス温泉を誘って、三香温泉に3泊の旅であった。

スーさんご夫婦が女満別空港まで車で迎えにきてくださり、少ない列車の心配をすることもなく、快適な車のドライブはたいへんありがたかった。




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途中寄ってくださった美幌峠はよく晴れわたり、
360度見渡せる北海道らしい雄大な風景を眺められて、
ミセス温泉ともども感激、いい思い出になった。






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あの日は、穏やかな日だった。


あれから私は
例によってとりあえず写真だけアップしたのだが、
パソコンに向かっても文章が書けないまま時が過ぎていった。



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年末に向かってそこそこ仕事が忙しくもあり、まあやらねばならない野暮用もあったとはいえ。



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文章を書く、というのはけっこう気力・体力のいることで
それに立ち向かう気力が萎えてしまうのは
三香温泉での安らかな時間を思い返すにつけ、
震災後の時間の過ぎようの尋常でないことを、改めて実感する年の瀬だったからである。



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三香温泉で過ごした時間と風景の穏やかさは
自分で撮った写真を見れば当然思い出すわけで、
日々受ける精神的な負担とのギャップの大きさに気付かざるを得ない。






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12月も末ともなれば、
仕事から帰って肩こりに喘ぎながらテレビをつけると
<今年を振り返る>番組からは次々に地震と津波と原発の映像が流れ、
肩こりは一段とひどくなり、
しかしテレビを消し現実から目をそむけることにも抵抗があり、
ひたすら耐えていると挙句の果て悪寒までしてきて、
鬱々とテレビを消してベッドにもぐりこんでしまったりした。




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東京電力の値上げのお知らせの記者会見などを目にすると、
あの人たちは罪悪感という感情を持ち合わせていないようである。
この寒空のもと電気メーターを1軒ずつ調べて回っているパートの女性を非難する気持ちなぞ毛頭ない。
が、東京電力の上層部の頭の中には味噌でなくおが屑が詰まっているんだろうとしか思えない。私には。




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怒りの矛先を収めるすべなく、
そういう映像を見た後ではハーゲンダッツのコマーシャルにもムカつく。

「ハーゲンダッツのアイスクリームは、濃厚だからまだカチカチ」








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なんだー そりゃー!!
冷凍食品はみんな濃厚だっていうのかー!!
まともな日本語使えー!!

多分年のせいで怒りっぽくなっているのだ、私は。






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ああ… キンタくん…

キミのまん丸な顔、その温かで短い毛の手触りが懐かしい…





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怒りがフツフツしてくると、なぜか次から次へと怒りの種が漂ってくる。

行った先の一流企業の<おばか>な上司とその<おばか>な部下とお話しするのもムカつく。





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別の企業の、
名刺に<ディレクター>という肩書きが書いてあるのに全然ディレクトしないおにいさんの紫色のネクタイにもムカつく。








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福島原発のメルトダウンした燃料棒の塊は、コンクリート壁を突き破る37cm手前で止まったんだそうな。
このギリギリセーフで止まったのは単なる偶然で、誰かが阻止したわけではなく、
もしかすると日本はちょーラッキーだったのかもしれない。

総理大臣はもちろん実物を見てきたわけではないが、いまや政府は原発事故収束宣言である。




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仮設住宅に入って笑顔が戻った福島の子供たち。

線量計がその幼い子供の首にかけられている。




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北海道では被爆の話は海の向こうの話である。

ここではだれも放射線量の話はしない。


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農作物や水も、多分安全なのだろう。
多分。

関東では先を争って手に入れようとした高いカウンターなど買う人はおらず、
誰も放射線量を測らないから、この場所の放射能値は当然誰も知らない。






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知らなければもちろん怖くない。

なぜ放射能値を測らないかといえば、
福島は海峡の向こうで遠く離れているから大丈夫。
知事以下、みんな何となくそう思っているのではないだろうか。

みんな大丈夫と思っているから、測る必要はない。というか、測ってみようという発想はない。


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日本政府がSPPEDIの予測を発表しなかった間、私はドイツ気象庁の予測データを毎日見ていたが、
そのデータでは、少ない値とはいえ、放射能は風に乗って九州から北海道太平洋沿岸まで十分に達していた。








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なにかのはずみでガイガーカウンターを手に入れた北海道太平洋沿岸の人が
試しに測ってみる気をおこし、その挙句とんでもないホットスポットが北海道に出現しないことを、
たとえば湧水や牛が寝そべる草原でそんな事態にならないことを、私は祈るのみである。



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この場所にある水や空気や大地が、当たり前に平穏無事である生活が、
このまま続いてくれることを願う。





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なんの罪もない人たちが嘆き悲しんでいる現実が
これ以上大きくならないように……

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震災後、「自分が生きている間にこんなことが起こるなんて思わなかった」と言った人がいた。

そんなふうに思っていた人がいることに私は驚いた。





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だが、人はそれぞれ。

どう思おうが思うまいが、明日の運命は分からず、
己の生を生きていく。


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あるいは、死んでいく。








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巡り巡って、12月も終わりとなり、12回目の月末が過ぎると、
カレンダーも新たに買い換えてまた1月から始まる。






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そんなことを何十回かした後、カレンダーを買うこともなくなる。




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例外も奇跡もない。






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あの震災直後からしばらくは、動揺することも多く、感情のコントロールも難しいことが多かった。
1人でいることに不安はなかったし、家族がないこともなんら問題を感じなかったが
家族がいれば思いのたけを話すことはできたはずで、
1人でいる私は、込み上げる感情をどうにかせねば狂いそうであった。






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私は自分のサイトに、日々その感情を書き綴ることで乗り切ったような気がする。

国難ともいえる災害時に、ささやかな温泉サイトを見に来てくれる人などほとんどいるわけがない、
しかし、とにかく、書く。思いを書く。日々、書く。書き綴る。






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そんな時間だったように思う。



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そんな最中、ふとトップページのカウンターの数字が上がっているのに気付いた時……





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なにかバグでも? 

いや、違う。正常に作動している。




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それは大きな驚きで、そしてなんとも嬉しかった。

聞こえない声が、いっせいに励ましてくれたように思えた。

私はその多くの声に支えられ、あの異常な事態を乗り切れたのだ。



ありがとうございます、皆さん。ほんとうにどうもありがとう。

私は今日落ち込んでも、その声を思い出すと、
自分自身を取り戻し、そして明日を生きていける。



晩秋の三香温泉

そして私が、私のサイトに来てくださる皆さんたちの支えに幾分かでもなれているのなら、
私にとってこれ以上の喜びはありません。






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そんな気持ちで迎えた、2012年元旦。





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どうか皆さんにとってこの新しい年が、人生のひと時の良き時間でありますよう。







晩秋の三香温泉

「生きていてよかったね」

と言える日々でありますよう。



            今年もよろしくお願いいたします。

                                                   まるみ

















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