(2009年6月28日 1人泊 @12,600円)
ストレスの多い仕事なのに、朝のラッシュの地下鉄に40分もまれて、着いたときには疲労困ぱい。
こういうのが嫌だからこの仕事しているはずなのにぃ…
休日に掃除・洗濯をした翌日、背中から腰にかけてバリバリになってしまった。
こんな日常の動作で筋肉痛はおかしい!
そしてこんな苦痛も初めて感じるものだった。
わずかにできた合間を縫って温泉に行こうにも、テキパキと選んで決定できない。
だいたい温泉選びをするにも適当な宿が思いつかないのであった。
仕事がひと段落して解放感に満ちていそいそと出かけるのと違って、宿は慎重に選ばねばならない。
休息と体力温存、できれば回復を…と、
考え方がなんとも消極的になっている自分がいる。
穏やかであっても内に秘めているものが荒々しい自然の中に向かっていくのは、それなりに自分の中での充実感がないとできないことを改めて思い知った。
こういうクッタリした気分のときには、とても行けるものではない。
往復の移動に時間がかからず、それなりにお湯も良く、緑で寛げ、質素でもいいからご飯と漬物、味噌汁がおいしいところ…
西武秩父駅は池袋から特急で1時間半、池袋駅で特急券込み「往復で2,740円です」と言われた時には
「えっ? 往復でですか?」 と、思わず聞き返してしまった。
そうか… しばらく行っていないが、こんなに安かったんだ…
とりあえず、近間で1泊。お湯に入ればそれだけで気分も違ってくるだろう。
ちょっとがっかりする宿だとしても1泊なら我慢できる。
硫黄泉の冷鉱泉だという。源泉の浴槽はないようだし沸かしの循環だけど、そこそこ満足できればそれでいい。
多くは望まない。
しかし180年たっているという建物と、トイレ付きでない古い部屋のたたずまいが楽しみであった。
電話では送迎があることを言ってくれていなかったのだが、
タクシーに乗ろうとして駅前をぐるっと見渡したら<新木鉱泉>と書いてあるマイクロバスが止まっていたので走っていって聞いてみた。
私の名前も入っていたので乗り込む。私以外2組、計5人。車で10分もかからない距離であった。
手入れされた前庭に花々が咲き、とてもよい感じである。
すぐに仲居さんに案内されて、本日2階のお部屋。
時を経た漆塗りの階段と廊下はよく磨かれ、温かな明かりを反射していた。
これらの美しい木の廊下と階段は歩けば当然音がするわけで、
「廊下を通る足音が気になりました」などと書き込みをする人には向いていない。
部屋の踏み込み部 あ~らま!っと!! いろは襖!
しかしここのは薄墨色で問題はない。
部屋の襖も一部<いろは>であるが、はんなり薄いし背後に少々なので、
まったく支障はないのである。
つまり不粋じゃありません。
冷蔵庫はドアの上にスイッチがあって、ぶぉ~~ん の音が気になる時は、コンセントを引っこ抜かなくても切ることができる。
持ち込みを入れるスペースもちゃんとあり<持ち込みスペース>とシールが貼ってある。
天井には剥き出しの黒い太い梁が見え、白く塗られた壁と力強いコントラストをなしていた。
紫陽花が飾られた洗面台。
ドライヤー、ペーパータオル、液体ソープ、コームやコップなど。
突き当たりの右にトイレ。洋式のシャワートイレと和式。とてもきれい。
風呂場は1階の外の部分。杉の皮で葺いた屋根の短い通路を通って湯小屋に。
だれもいなかった。
近年、1階に露天付きの部屋を作ったようである。
加温・循環させたお湯を一部ジェット噴射させていて、私は好きでないのでちょっと残念。
しかしかなり下のほうからなので、そこを避ければあまり気にならない。
丸い、黒い小石を平らに敷き詰めてあって肌触りがよい。
アルカリの、わりとツルツル感を感じる無色透明、ほとんど無臭のお湯である。
木の枠にしてあってその感じもとても良い。
私の予想外で嬉しかったのは、15℃の源泉を入れてある桶があり、自分で蛇口をひねって好きなだけ源泉を入れられることであった。
これは風呂場で小躍りしたくなるような驚きであった。
よもや私の大好きなシチュエーションが設定されているなんて、思いもしなかったのである。
源泉15℃… 沸かし40℃… 15℃… 40℃… 15℃… 40℃… とエンドレスになってしまうパターン。
好きですね~ これ!
しかし、しだいに源泉15℃でそのままず~っと入っていたくなってしまうのだ。
上がれなくなってしまってちょっとまずいの。
じっと静かにこの源泉の桶に入っていると、ごくあえかな硫黄の香りがふっとよぎる瞬間がある。
次第に頭の中がシーンとしていって、体の疲労より脳の疲労が取れていく、目詰まりしたフィルターが洗われていって本来の姿を見えてくるような、そんな気分である。
やっとこさ這い上がって出る。
風呂場から出てすぐのところにある日帰り入浴客用のお休み処。花が活けられ、こざっぱりと静かであった。
この横は出口で、ビールとソフトドリンクの自販機が。
いつくしみ、磨き込まれ、使い込まれた家の、家本来の在る姿のなかに身を置くことの心地よさ。
屋根裏部屋ももちろん上がれるのだが、上がろうとする気力のなさに自分自身、幻滅する。
さきほど若い仲居さんが
「車で5分ほどのところに蛍がたくさん出ます。雨でなければ8時に車を出しますのでよろしければ」
と部屋まで伝えに来てくれた。
蛍を見に行くのも、気力がいるものだと思った…
見なくていい。
6時に部屋食。外はザーッと雨。
仲居さんたちはみんな若いお嬢さんたちで、順次料理の説明をしながら配膳してくれる。
陶板焼きにはすぐ火を入れてくれた。
見るからにいい牛肉の色だったので、あら?と思った。
つまり私はこの宿の食事に何の先入観もなく、何の期待もなかったので、その配膳されたものを見たときに、これはもしかして… と初めて思ったのである。
そして食べてみると、よく吟味された上質の牛肉であることが分かった。
往々にしてペシミストのほうが喜びが大きいのである。
たいへんきちんと、料理されたものが出される。
鮎はもちろん、いい塩梅にカットされ酢漬けされた新生姜が爽やかであった。
牛肉が吟味されたものであるならば、当然刺身もまた吟味されたものに違いなく、そして見た目通りにそういう味がしたのであった。
初夏のジュンサイはほんの少し山葵を利かせて。
お燗で1合ほどよく。
焼いたアスパラガスの下にはひき肉入りの味噌が。
ひき肉は肉屋でひいたものではなく、包丁で叩いて細かくした食感があった。
グリーンのアスパラガスの彩りにプチトマトは常套であるが、このプチトマトはスープで味付けされていて、
つまりこの宿ではありものを皿に載せるのではなく、“料理”しているのである。
この料理には…
心がある。
と、私は思う。
玉ねぎだけである。しかし新玉ねぎの甘さと香りがある。半端な肉なんか入っていないのがよい。
ホワイトソースも主張しすぎず、玉ねぎはコロンと丸く柔らかく、そして玉ねぎ万歳!になっている。
海老、ししとう、シイタケ、などのオーソドックスな天麩羅。
揚げたて、塩でなく天つゆで。
熱く、カリッと、そして大きめの海老はプリッと、ししとうはししとうの、シイタケはシイタケのおいしさが。
旅館の天麩羅は、よく塩を添えて出されたりするが、
正直言って塩で食べるのに耐えられるようなタイプの、つまり塩を付けて食べてうまいと思うような天麩羅が出てくることは極めて稀である。
雨上がり、虹が出たようだ。
「このあと、一口うどんが出ます」と言われて、どんなものかと思ったら、
三口くらいの薄味の手打ちうどんだった。
すがすがしくいただいた。
ご飯も、おそらくここで漬けたのであろう糠漬けのキュウリも、つみれの入った熱い汁もおいしく、
ほぼ完食。
フルーツとかデザートはこなかった。
しかし、おなかいっぱいで風呂に次いで予想外の料理で、たいへん満足であった。
お布団敷きのあと、アイスクリームがくるんですって~!!
バニラアイスクリームの横に、プレザーブのイチゴジャムが。
この酸味も甘みも、手づくり以外のなにものでもない。
私はちょっと感動し、再び嬉しくなったのである。
湯小屋の脇から見える山の写真を撮っていたら、背後から同宿のおばさん3人が
「あら、なにか見えるのかしら? あら、山が見えるわ」「あ、ほんと、まあ~いいわね~」
「え? いい景色じゃないの」と
どやどや迫ったきた。
こ…こわいよぉ…
だいたいね、どこ見たって山は見えるんです、この宿。
宿の玄関に入る前も、入ってから窓を開けても。
山を見ないほうが難しいんですけどね、まるで初めて見たかのようなんですよね…
いや宿に入って18時間後に初めて見たのかもしれないけど。
朝は大広間で朝食。8時から9時の間。
朝の献立も、食欲をそそる見た目、味の重複がなく、量は私には多いが、こまやかに考えられたものだった。
ふっくら大きな大豆の納豆。
茶碗蒸しの中にはキノコがたくさん入っていて、ありきたりでない、そんな心遣いが嬉しくなる。
鍋はスイトン。削ぎ切りの野菜と牛肉のスープ仕立て。コショウが香り、ピリッとした味わいと、スイトンのモッチリ感。ユニークでおいしい朝の鍋。
階段下に朝のサービスのコーヒーが淹れてあったので、カップにそそぎながら、居合わせた女将さんに昨夜のデザートのイチゴジャムは自家製ですか?とお尋ねしたら
「春摘みのイチゴで作るんですよ」とのことだった。
しばらくお話ししていたら、背後からまたドカドカとおばさん3人が迫ってきて
「あ、コーヒーがあるわよコーヒー」
「もらうわ」
「あ、私ももらうわ!」
そして私たちがしている食事に関しての話に割り込んできて
「お食事おいしかったわ~今度クラス会しようかしら、ここで」などと女将さんに言い出だしたので
急いで退散。
部屋でコーヒーを飲みながら、朝起きたときには分からなかったが、いまは疲れがとれ背中も痛くなく、元気になっているのが分かった。
元気を貰えた宿だった。
チェックアウトのときに女将さんに
「私は冷鉱泉がとても好きで、今回とても疲れていたけれどおかげさまで疲れがとれました、いいお湯でした」と言ったら
「そんなふうに言っていただけるのが一番嬉しいです。なかなか鉱泉を分かってもらえなくて…
電話で『温泉じゃないのか、じゃあいい』などと言われることもあるんですよ…」と喜んでくださった。
源泉に入ってもらいたいがために、小さなサウナを設置したのだろう。
「でも数は少なくても分かってくださるお客様に支えられて、180年やってまいりました」と。
ほっといてもジャカジャカ湧いて出る温泉もあって、そんなところの宿はあまりお湯の大事さを感じないのかもしれないが…
わずかな冷泉を大事に大事に守り続けていることがわかる宿のお湯は、たとえかけ流しでない沸かしのお湯で成分が少なくとも、お湯のありがたさがしみじみと伝わってくるものがある。
なおかつあのお料理は、作り手の心と、作り手の味があった。
そして私の家からは、すごく近いのである。
また行くでしょうね~。きっと。
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