群馬 川古温泉 濱屋旅館

(2011年8月14・15・16日 2人泊  新館湯治プラン3食付き @10,000円 )








群馬 川古温泉 濱屋旅館


熱帯のように耐えがたく蒸し暑い東京を逃れて…
北海道は飛行機代が高いから行けない。

お湯の熱い東北の温泉も、今の私にはちょっと向いてないし。
 
どこに行こうかな~ 避暑も兼ねて落ち着けるところ。






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ああっ!! あったわ~

そうそう、川古温泉、浜屋


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旅館の豪勢なお料理望んでいないから、湯治食でいいし。

しかしお盆の時期、あいているかしらね…


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あいてるって!
「新館で湯治食、3泊できますか?」

ご主人が
「湯治食3食付き、お盆料金で1万円ですが」

おお~良かった。 嬉しいわ~!


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本館でもよかったんだけど、クーラーがないから昼間はちょっと暑いかな、
というわけで新館に。
同じ宿に3連泊という初めてのことをします。

新館2階、東京で聞くとドッと汗が吹き出す蝉の声も、ここではなんとも涼やか。
本日東京は35℃だって。
ここではいまのところクーラーは要らない。


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洗面台、冷蔵庫、トイレ付き。










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かすかな風も心地よく青々と木々が生い茂り、遠くの山を見やりながらの露天。

特大のアブがブンブン飛んでくる。
アブの間隙をついて風呂に入る感じ。あちこちにハエ叩きが置いてある。

38℃くらいのお湯は私には温かすぎるお湯だが、熱くはないので30分は入れる。
ほわ~っと気分が落ち着いて、心のしわ伸ばしができる。

この震災以降、さまざまな人がそうであったように、私もまた多くのことを考えさせられた。
これからどのように生きていくのかを、自分に問う時間が続いている。



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そんな中で、どうやら宮沢賢治は避けて通れないな… という思いを抱いた。



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私にとって、<玄関前まで行くが、入らずにそのまま通り過ぎる東北の作家の一人>
花巻の人、である。




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明治29年三陸大津波の年に生まれ、昭和8年三陸大震災大津波の年に没した。

誰しも思いは同じだろう。あの津波のあとで宮沢賢治が脳裏に浮かんだ人は多かったと思う。

震災後、宮沢賢治に関する出版物も増えたようだ。




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真か鴈かはともかくなんでもすべて<豊か>ないまでは、もうほとんど忘れ去られ教科書にしか載っていない、東北のたいへん悲惨な冷害と飢饉の時代を生きた人だ。



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私は、彼の詩や童話、そのほかの文学作品よりもむしろ、
十代の終わりに入った信仰の道の軌跡や、晩年病をおして農作物の肥料<石灰>の販売に情熱を傾ける彼の姿に目が向く。


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いずれにしても彼を識る入り口はたくさんあって、作家との出逢いもまた縁のように感じる。

読むべくして時がくれば読み、そして出逢うべくして出逢うのであろう。






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そんなこんなで、これまた自分の拠り所を探す作業のひとつなのかもしれない。

頼りなくよるべない思いを支えるよすがにと、何冊かの本を持ってきてはいたが、
おいしい山の空気を吸って自分の肌に合った温泉につかり、夕方霧が垂れこめたあとザーッと降る雨を見上げ、
窓の外に張られた蜘蛛の巣に水滴が付いて揺れているのを眺める。
読むともなく時間が過ぎていった。

それもまた、日常から離れた特別な時間にふさわしい過ごし方ではないか、とも思う。









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あとでご主人にあの地震のときのことをお尋ねしたら
「この辺は地盤がかなり硬いので、そんなに揺れませんでした」
とのことだった。




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小さな山の宿に被害がなくて何よりであった。






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国立公園の中にある。宿の背後の山々は、深い。

来る時乗ったタクシーの運転手さんは
「熊がよく出るんですよ。しょっちゅう見ますね。車に乗っているから怖くはないけどね。岩魚の養殖場とかで見かけたり」





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自然が豊かなのだ。










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仕事でヨレヨレのまちこがやってきた。

ヨレヨレでなんとかなるうちはいいけれど、自分がやった結果に自信が持てなくなってしまったら、
そういう仕事ぶりは自分の精神に跳ね返ってくるので、自分自身を泣くことになってしまう。
どこかで決断をすべきだろう。



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どうやらまちこもそんなことを考えているようであった。



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ぬるめの内湯もまた心地よい。


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上から落とす湯口はいまは使われておらず、湯船の側面からお湯を出しているので気付きにくいのだが…



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お湯が出た瞬間、細かい気泡が無数にできて…



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肌にまとわりつく。



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その一瞬後には、また透明なお湯になる。

温度も、肌に感じるあたりも、ほんのかすかな匂いも、すべて優しいお湯である。



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誰の作かは書いていないが

 「川古の みやげはひとつ 杖を捨て」  といわれる温泉だという。

私の印象では、「杖を捨て」というようなドラマティックな効果を謳うようなお湯の感じではないのだが、
長い時間入り、よく温まり、筋肉がほぐれて痛みも消え、気が付いたら歩きにくい足も動きが良くなっている、
そんな温泉ということだろうか。






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男湯の湯船はやや小さい。

もうひとつ、混浴の内湯がある。
前回来た時に、足の悪いおじいちゃんと家族が一緒に入っていた。







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人が去ってしまった内湯は、静かだ。

気持ちよく、そして穏やかさに満ちている。

心ゆくまで、この穏やかな時間を、ありのままに、幸せだと感じられる幸せ。

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「幸せ」  と言えることを、感謝いたします。







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朝、まちこと窓の外を見ていたら、木の枝が動いて… 猿が見えた。

その後猿が次々に木々の向こうに見え隠れし、どうやらかなりの数の集団らしい。

岩を伝ってリーダーらしき1頭がゆっくり川の岩場を上流に向かって進んでいくと、
向こう岸の岩場の木の下を2匹目、3匹目… 10匹?! 15匹! 20匹! あっ… まだいる!
さっき枝を揺らしたらしい小猿やもうちょっと大きい若い猿たちなども含めて、1列になって後を行進していった。




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次に熊が現れたらいいな~ などと見ていたが、
熊は現れなかった。

また静かな風景に戻った。



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山の天気が急変する。

霧と雲が山々を覆っていく。



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食事は食堂で。

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前回は湯治の夕食は5時からとのことだったので湯治プランにしなかったのだが
今回湯治も6時からになっていて助かった。

5時はね~ ちょっと早すぎ。

鱒?のフライ。川魚には間違いないが、何?というくらいクセがない。


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野菜の炊き合わせ。


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汁椀替わりの薄味の鍋。

出ないとは思ったが念のためご主人に「熊は苦手です」と言っておいた。
鳥肉が入っている。

ご飯は炊きたてのアツアツを持ってきてくれる。

お米はおいしく、しかしご飯は多すぎて残してしまった。

おかずの量もちょうどよく、野菜もおいしく、満足のお食事でごちそうさま。










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2日目の朝食。
8時に食堂で。


       

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鱒?のお刺身。
私は朝から刺身は食べないのだが、大変新鮮で、するっと食べてしまった。


       

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しゃきしゃきのワラビ。

そして私は朝ご飯は食べないのだが、朝ご飯って、なんだかとても有難いものだ、という感じでいただいた。




       

       

       

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2日目の昼。12時に食堂に行くと、湯治の人用にすでに配膳されている。

 

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氷でよく冷えたうどん。

小さなスモモが甘酸っぱく、野性味あふれる味だった。

下のほうにうどんがたっぷりあって、おなかいっぱいとなる。 







       

       

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2日目の夕食。

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トリの味噌焼き。
レタスがパリパリッ。

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キュウリとクラゲの酢の物。野菜の炊き合わせ。

       

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魚介類の鍋。

       

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キノコが3種類、三つ葉が香る。

漬け物、ご飯おいしい。
本日は持ってきてもらうご飯の頼み方が分かって
私は「小丼お願いします」
何も言わないとご飯2膳分以上入った並丼が運ばれる。

まちこはもちろん何も言わない。

       







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3日目の朝食。
本日は納豆あり。


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お味噌汁の中の大きなジャガイモが、なんだか懐かしい味だった。

ホッケも小さめでちょうどよい。








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「昨日うどんだったから、今日は蕎麦だね、きっと」などとまちこと話しながら食堂に行くと…

あら!麺類じゃないわね、これは!
このよく冷えたコップの水に入ったスプーンというクラシックスタイルは、カレーと決まっている。


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家庭的な、たっぷりとした量の、カレーライスだった。

がんばって残さず全部食べた!

スイカは食べられず部屋に持っていって後で食べた。









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3日目の夕食。




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卵がぎっしりのカレイの煮付け。




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モヤシ、玉ねぎと豚肉の陶板焼き。




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野菜とさつま揚げの炊き合わせ。




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ご飯、ジュンサイのお吸い物。










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昨日は外の鉄骨を修理したりペンキを塗ったりと、宿はメンテナンスで忙しかった。

家族、そして僅かなスタッフでやり繰りしているんだろう、フロントに誰もいないときが多い。



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4日目の朝食。



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野菜の入った出汁巻き卵。
メカブ、鮭。


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フノリと豆腐の味噌汁。

小丼のご飯。ごちそうさまでした。

私たちは、湯治食で十二分に満足でした。


また来年の夏もここで、湯治しようと思った。

まちこも「また来ようね~」









                            ★★★★★★★★★★




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群馬県・みなかみ町は「温泉の町」だけではない。

 「水と森林の防人」 を標語に掲げている。

浜屋の後ろの道は林道になっていて通行止めだが、前回泊まったときにその林道をほんの少し歩いてみると、木の幹に白い袋が吊り下げられていてなんだろうかと思った。
浜屋のご主人に尋ねてみると
「ああ、木の実がどれくらい落ちるかサンプリングしてるんです。ここは国有林なので」

その籠状の白い袋はかなり深い林の中に所々見られた。
取り付けたのち回収して中の内容を調べ数を数える… 
大変手間と時間と人件費のかかる作業だな、と思った。

2年ほど前に、全国で初めて群馬県でコンクリートの堰堤が撤去された、というニュースがあった。
興味深いニュースだったので記憶に残った。




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今回浜屋に置かれていた「赤谷の森だより」という会報誌を読んでみてその全容が初めて分かった。

群馬県・新治地区北部水源のムタコ沢の治山ダム、つまり堰堤を撤去して渓流環境を復元させ、
「いい水をずっと飲める」地域にしよう、という運動なのだそうである。

この新治地区は、戦前酢酸を作るために工場ができ、森林が伐採されて原料となり、森は荒廃していった。
その結果水害が起こり、その水害対策としてコンクリートの堰を造り、1カ所では持たないからおそらくどんどん造り、渓流の流れが断たれていたのを、2年前に堰を撤去して流れを復活させたのである。

荒廃した森林を数十年かけて再生させ、森林の機能が復活したからこそ撤去することができたのだ。



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自分たちの目先の利益や恩恵の享受を考える時代は、もう終わらせよう。

いま多少不便でも、多少損が出ても、
長い長いスパンを見据え、私たちの子孫が幸せに暮らせるようなグランドデザインを描いていかなければならない。

それは原子力発電にもいえることで、この夏企業も家庭も不便な思いをし、暑さにあえいだけれど、
未来の子供たちの安全のためであるのなら、今後日本人の知恵を絞って電力不足も乗り切っていくことができるのではないだろうか。
明るすぎる必要はないし、便利すぎる必要もない。

地道な努力の末、50年かけて森林は復活して保水力を持つようになり、コンクリートの堰は撤去できた。
50年かけて原発を廃炉にしても、そのあとに残る大量の放射性廃棄物はいったいどのように処理されるのだろう…
人類は放射性廃棄物の処理の方法を知らないのだ。




赤谷プロジェクトは、林野庁関東森林管理局と、財団法人 日本自然保護協会と、地域住民たちとで運営されている。
地味な活動である。
地域の大勢のボランティアによって、その活動を支えられているのだろう。

林野庁… だいたい最近影が薄い。 えーっと、それってまだあったっけ? みたいな。

原発を造ったりダムを造ったりするような、国の予算が大幅に付き地域にドッと金が降り、その金で近代的な健康センターとかが建ち、建設業者が儲かり、業者の下請けの会社と孫請けの会社の人が現場の付近の旅館に大勢泊まりいっとき景気よく賑わい… などという派手さもなく予算もあまり付きそうもない気がする。林野庁には。

植生を調べ、森林の実態を調べ、生息している生物を調べ、記録し、森林と保水の実態を調べ、荒れた人工林を自然林へと長い時間をかけて誘導する。
森を守ることは水を守ること、そして人々を水から守ること。
生きているあらゆる動植物があるがままにいられる状態を守ることは、私たちの生と生活を守ることに繋がる。

私たちの飲み水。
私たちの空気。

いま、それが脅かされている。
いまここでなんとかしなければ、私たちの子供や孫やひ孫や玄孫は、もっと怯えることになるだろう。



私が払っている税金は、できれば全部林野庁に回してもらいたい!!!












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