(2011年8月15・16日 日帰り入浴)
前回、前まで行ってみたけれど入らなかった別館の<旅館 峰>のお風呂に入ってみたかったので、
朝ご飯が終わってから浜屋のご主人に
「今から行って入れますか?」と聞いてみた。
「ああ、どうぞ。本館に泊まっていると言えば無料です」
ワクワクしながら別館に向かってまちこと歩き出す。
もちろん前回来た時に入ろうと思えば入れたけれど、宿の前まで行って引き返したのは、楽しみは取っておく、というような気持ちだったのだ。
ゆっくり歩いて5分もかからない。
<旅館 峰>は、そんな密かな楽しみを期待させるような雰囲気だったのだ。
橋を渡ると、峰の建物が見えてくる。
「あっ! 硫黄のにおいがする!」とまちこが言う。
確かに風に乗ってかすかな温泉臭がするが、硫黄のにおいではないように思う。
川に向かって細い流れが見えた。
多分宿からの温泉の排水が流れているらしく、そこからにおっているのだろう。
まだ暑さは控えめな午前中の日差しの中で、さりげなく、小さく静かな宿が見えてくる。
ガラス戸の脇にある押しボタンを押すと、人が出てくる気配、
中に入って待つと…
小柄なおばあちゃんと、もう1人女性がおばあちゃんに付き添って現れた。
「浜屋に泊まっているのですが、お風呂をいただきにきました」と言うと、
女性がおばあちゃんの耳元で
「本館に泊まってるお客さんです」
「ああ、そうですか。耳が遠くてね。どうぞゆっくり入っていってください」
お元気そうな、多分今年97歳になられるおばあちゃんとしばし立ち話。
「私の連れ合いがここを作ったんです。あ、パンフレットあげましょうかね」
浜屋のお湯もいいけど、ここのお風呂を楽しみに今回来たことを告げると、嬉しそうな笑顔で
「ぬるいお湯ですからね、十分ゆっくり入っていってください」
胸が高鳴る。
のれんのかかる小さな入り口には孫の玩具みたいなものが置かれているが、廊下はこざっぱりと、お掃除が行き届いていた。
すっきり何もない、とてもいい感じの脱衣所だった。
機能一点張り、少し開いた風呂場のガラス戸の向こうから、湯音が小さく響く。
お湯本位のそのありように、嬉しさでクラッとなる。
たいへん素敵な風呂場だった。
落とされる豊富な湯量、小さめの湯船、勢いよく惜しげもなく流れ去っているお湯…
換気扇の音がせず、網戸のある大きく開け放たれた窓。
湯口に近いお湯がまるで白濁しているかのように見えるのは、細かい気泡が大量に出ているためだろう。
湯船に入る前から、期待以上の素晴らしいお風呂であることが目から伝わってくる。
心地よい温度なので、かけ湯してからスルッと緊張感なく入れる。
そしてちょうどいい温度なので、入った瞬間からのびのびと手足を伸ばせる。
「私、ここのお湯のほうが好き」とまちこは言った。
窓の外は、ありふれた田舎の緑の風景であるけれど、ありのままにありふれている、ある意味貴重な眺めだ。
浜屋を去るときに、ご主人が車で猿ヶ京のバス停まで送ってくれた。
その車中で
「峰のお湯は違う源泉なのですか?」と尋ねると
「いや、うちから引いています」とのことだった。
おばあちゃんに貰ったパンフレットはかなり昔作られたもののようであったが、
それによると<広河原源泉>と書いてあったからかつては独自の源泉だったのかもしれないが、現在は本館、別館共に同じ源泉であるらしい。
本館から長い距離を引き湯して、なおかつ格段にいい状態のお湯なのは、
欲張らず、豊かなお湯を小ぶりの内湯に落とし、ベストコンディションを維持しているからのようである。
客室も3部屋ほどで、本当に川古のお湯を愛するお馴染さんのみが宿泊しているようだ。
ご主人に
「別館の食事は運んでいるんですか?」
「はい、本館から運んでいます」
ということは本館と同じ食事。だったら食事も安心。
私は是非とも近いうちに<峰>に泊まろう!と思った。
おばあちゃんはお元気そうに見えるが、いつ宿を続けていくのが困難な状況になってもおかしくないお年だ。
ご主人は東京で暮らしていたという。
お父さんが亡くなって、家業を継ぐために家族で戻ってきたのだろう。
浜屋はほとんど家族経営に近い状態のようだから、人手は足りないだろうし
<峰>を切り盛りするおばあちゃんが止めると言ったら、別館を維持するのは難しいのではなかろうか…
私は別館廃業となって悔し涙を流す前に、泊まらなきゃ!!! と固く決心した。
細かな気泡が全身を覆うすべすべ感と、ふやけてしまいそうになるくらいゆっくり入れるお湯で、
まちこも私もトロトロになり、翌日もお湯をいただきにくることにした。
また無料で入らせてもらうので、なにかお礼がしたいと思って見回し、
私はおやつに文明堂の桃のどら焼きを2個持ってきてまちこに1つあげたのだけれど
2人ともまだ食べておらず、そうね、これをお土産にしよう!
「それ、こっちに寄こしなさい!」
ううーっ と唸るまちこから取り上げて、どら焼き2個袋に入れ、またしても<峰>に。
入り口でベルを押すと誰も出てこない。
えー… どうしよう… 入りたい… 2人で顔を見合わせて佇んでいたら、
突然男性が玄関に入ってきて、
「あ、日帰り入浴? (浜屋のタオルを首から下げていることに気付いて) 本館から来たの?
じゃ、タダだよ、上がって」
(宿の人??)
「おばあちゃん、あの部屋にいるから。(と、右のほうを指さし) 襖の向こう」
どうやらお馴染さんの宿泊客のようで、10時にチェックアウトして車に乗せる荷物を部屋から運び出すところだったようだ。
勝手に上がり込んで襖を開けるという大胆な行為をしていいものか…
ためらっていると
「襖開けないと聞こえないよ、おばあちゃん、耳遠いからさ」
「あ~ すごくいいお湯なので昨日もいただいたんですけど、今日も入りたくて」
「いいお湯でしょ~ 部屋に岩風呂付き」
「えっ?! 岩風呂付き?!」
私の顔色が変わったんだろう、たぶん。
「そう、岩風呂付き。1万2,000円」 と、自慢しながら去っていった。
岩風呂付き1万2,000円… 絶対泊まるからねー!
襖をちょっと開けておばあちゃんに声をかけ、あまりにいいお湯でまた来ました、と、どら焼きを手渡し
「ゆっくり入っていってください」と言ってもらい、
2人で再びとろけた。
「今度ここに泊まろうね~」
「うん。泊まろう!」
こういうお湯と宿がここに存在するのは、
奇跡だ~~~!!!
ありがとうございました!
私は風呂場に頭を下げた。そばでまちこも頭を下げた。
栗の青いイガの向こうに、赤く色づいたトンボがとまっていた。
透明な水が流れる浅瀬では、夏休みを満喫する家族連れの楽しげな声が響く。
浜屋の前に止めた車の上で、猫が昼寝をしていた。今日は外装工事をしているのだ。夏の晴れ間に。
日が高くなり、蝉が懸命に鳴きだした。
夏の日の、短い命の謳歌。
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