茨城 平潟温泉 まるみつ

(2012年3月19日 2人泊 @12,600円)






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茨城県は、千葉県とともに去年の震災の被害が大きい。

けれど東北の三県のあのあまりに甚大な被害に比べると、
「うちも被害は大きいんですけど・・・」と下を向いて小声で言うか
黙っているしかないのかもしれない。




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そのうえ茨城の港で水揚げされた魚は、セシウム値の問題でしばらく風評被害が続いた。

北茨城は冬場のあんこうが有名だが、それ以外でも太平洋で獲れた魚はたいへんおいしい。
豊かな漁場である。


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茨城県には観光名所、わけても文化的なものはあまりなくて、
思い浮かぶものといったら、五浦(いづら)海岸にある岡倉天心が建てた小さな六角堂、あとは水戸の偕楽園。
そして唯一の山、ガマの油売りの筑波山くらいかな~

その六角堂が、震災後の津波でうわものが大波に持っていかれてしまったらしい。
ネットで見たら、持っていかれた六角堂が波間に漂い、まさに海に消えなんとしている写真があった。
「六角堂消失!」の文字があちこちに見受けられた。

<消失>というより流れ去ったのであるから<流失>だろうけど。





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昔六角堂を見に行ったことのある私は、海に向かって突き出した岩の、
平らの部分、きれいさっぱり土台からして無くなっている写真を見て
ポカーンとしてしまった。

うーん・・・

しかしよしんば残骸が多少残るくらいであったら、いっそスッキリ何もなくなったほうが天心先生も諦めがつくかもね。

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北茨城の宿に行ってあげなくちゃね!

最近母は、刺身が、とりわけ新鮮でおいしい刺身が食べられればそれで満足!みたいである。
風景もお湯も楽しむのは体力がいるから、1点に絞れば、そりゃ刺身だわ!らしい。

だから「景色が見えなくてもいい。お湯も1度入ればいい」である。





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電話して「おいしいお刺身がたくさん食べられる北茨城に行こうか~」と聞くと
「えっ! 北茨城? いいわね! 嬉しいわ!!」



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もし母が僅かでも放射能に対する懸念とかためらいをにじませたなら、
私はすぐに変更するつもりだった。
かすかにでも抵抗がある旅行、そんな旅行は楽しくない。

母は純粋に喜び、そう口にし、私は行くことを決めたのだった。





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常磐線はすごく複雑な線で、日暮里から仙台の南の岩沼というところまでなんだそうな。
日暮里と上野間、そして岩沼と仙台間は東北本線を使うらしい。
おまけに特急の上りと下りで停車駅が違う。
てっちゃんたちは喜びそうだが、なんかややこし!
私はみどりの窓口で切符を購入するときに、売り場のおにいさんにお任せして
大休カード3割引きと母の分の往復割引を使い、一番安く行けるようにしていただきました。

私が生きているうちに、常磐線は全線復旧開通するのであろうか・・・








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行きは勿来(なこそ)駅で降りる。
駅まで迎えに来てくれるので、電話して待つ。

北茨城の宿を調べてみると、それなりのホテルや旅館は通常の営業に戻ったようだが、
小さな民宿や小規模の旅館はまだ営業していないところが多かった。

できれば経営の苦しい小さな旅館を選びたい私の選択肢はかなり狭まってしまった。




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母の喜びそうなとにかく刺身てんこ盛り!の宿に決めました。
丘の上で海は見えなさそうだが。
温泉も海岸沿いによくある塩化物泉の循環だろうし。

今回は母メイン、自分の希望は二の次である。

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よく晴れて風が強い。
海が近い気配がある。

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迎えの車が来るまで母を駅舎のベンチに残し、外を歩いてみる。
震災があったことを思わせるようなものはないように見えたが。





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屋根の修繕など
まだまだ元通りにはなっていないようであった。





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宿のスタッフの若いお嬢さんが迎えに来てくれた。

「津波で六角堂が無くなってしまって、みんなすごく驚きました。温泉はしばらく止まっていたので、その間公共のお湯を宿に運んで入ってもらいましたが、今は元に戻っています」





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窓の外に、濃い、深い色の太平洋が見える。
「海の色が全然違うわね。なにか怖いわね」と母。

独特の色、遠くに暗さと荒々しさを秘めた海である。
しかし本日は穏やかに波が寄せていた。






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車が坂を上っていき、トンネルを通ると、出たところが宿だった。

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名前がたくさん書かれていて、ちょっとホッとした。
私たちだけだったらどうしよう・・・ だったので。

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いわゆる大衆的、庶民的な宿である。

垢ぬけないフロントに、宿のおばさんたちが出たり入ったりしている。

フロント前にはおじいちゃんを筆頭に、家族旅行だろうか3人が待っていた。


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<大衆>とか<庶民>とかいう言葉は、死語になってしまったのだろうか。
もしくは教科書にのるだけの言葉となったのか。

その代わりに<フリーター>だの<孤立死>だの<買春>などという言葉が辞書にのるようになるのだろうか。

もちろん言葉は変化するが。



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宮本常一さんは『庶民の発見』の中で、第二次世界大戦(彼は大東亜戦争と称するが)終戦直後のことを

「自らを卑下することはやめよう。人間が誠実をつくしてきたものは、よしまちがいであっても、にくしみをもって葬り去ってはならない。あたたかい否定、すなわち信頼を持ってあやまれるものを克服してゆくべきではなかろうか。
 私は人間を信じたい。まして野の人々を信じたい。日本人を信じたい。日常の個々の生活の中にあるあやまりやおろかさをもって、人々のすべてを憎悪してはならないように思う。たしかに私たちは、その根底においてお互いを信じて生きてきていたのである。」

と書いていらっしゃる。


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私たちは・・・ 庶民は・・・   お互いを信じて生きてきていたのであった・・・

この震災後は、この国では是非とも、お互いを信じて生きていかねばならないはずだ。





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窓の外は駐車場だったので、私はけっこうがっかりして
「やっぱり景観は全然だわね」と言ったら
母が
「あら、いいわよ。いままでいい景色たくさん見ちゃったもの」だそうで。

なにかくれるとか、時間帯によってビールやアイスクリームが半額になるとか、色々サービスがあるらしい。


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ま、とりあえず風呂よね。

屋上に小さいけど露天があるんだそうな。



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母「貸し切り?」
この後に及んでなに言ってるんですか~
「いーえ。でもまだあまり人はいないんじゃない?」




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地元の人が1人、上がって出ていくところで、ちょうどよかった。




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貸し切り状態。



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かじめ風呂ですって。



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わかめみたいな、ゴワゴワした茶色の海藻が入ってました。

ポカポカと温まるお湯だった。



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どうということはないが、天気も良くて、風も通り、気持ちよかった。



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母と2人

「やけにのんびりするわね」
「これであとは夕食だわね」








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一応1階にある内湯ものぞいてみた。

脱衣所。



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ドアを開けたらこもっていたためか、ホワ~ンと塩素臭が。
おまけに床は畳もどき。

私ね、たいがいの風呂は入りますけどね、この 床、畳もどきってのだけはね、
入りませんのよ。

して、あの黒い電話機は何? 倒れた時の緊急用??







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廊下の端に、あまり目立たない写真が張られていた。
茨城県を象徴するように、控えめな感じで。

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母、6時に足取りも軽く
「楽しみね~」

食事処に。

宿の入り口にたくさん名前が書かれていたが、実際には4組。

お刺身の板盛りに母にっこり。
「うわあ~!」

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見るからに新鮮なお刺身が9種類。


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鯛、ヒラメももちろんおいしかったが、私は新鮮な鱸に驚いた。

そのシャキッとした歯ごたえ、爽やかな甘みを伴う味わいに。

「おいしいね!」と言ったら返事がない。
母のほうを見ると・・・ 夢中になって食べていて気が付かないのね~
やや難聴の気があるが、聞こえないということはないので、ぜーんぜん気が付かないだけなのね。



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思わず笑っちゃいましたね~

そして私が笑ってることも気付かないんですよ~


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「あー ・・・」と
ため息交じりに顔をあげて、
「本当に、おいしいわねええ」
と言ったのは、一通り刺身を食べ終わった後でした。



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もちろんおいしいんですけど、私あまりに魚だらけで、途中からサラダみたいなものを食べたくなりましたよ。

でもまあ、母がこんなに喜んでくれるんだからいいんですけども。


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添え物の野菜以外は、すべて魚。



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何という魚か忘れたけど、その内臓のほろ苦さもおいしい揚げものでしたね。




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あんかけの下も、レモンの下もお魚です。



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カレイの煮付けもいいお味でした。




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鯛の潮汁とご飯。



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デザートは豆乳コーヒーゼリー。
なんかちょっとザラツキ感あり。

うわ~ 食べた食べた~

母は私以上に食べた。お刺身は完食でした!








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私よりやや軽く母より10kg多い重量だった巨大あんこうの、骨。







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母、さっさと寝てしまい、私は入れ替わった岩風呂へ。
日帰り入浴を遅くまでやっていて、地元の人が数人来ていた。


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料金も300円と安く
「ここの風呂はあったまるし、自分ちの風呂は小さいから毎日来るの」
というように、地元のお風呂屋さんの雰囲気。


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日帰り入浴が再開されて、良かったですね~









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朝食。

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(朝から刺身はな・・・ ちょっとな~)


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と思っていたら、朝はシャブシャブだそうです。

しかし、固形燃料が弱く沸騰せず、私はパス。



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鍋を置いて、何をするのかと思ったら
熱した焼き物の球を味噌仕立ての鍋の中に投入!


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ボコボコ ジュワワーーッ となって、すごい煙が立ち上る。


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はあ~

「煙が収まったらお召し上がりください」

はい。




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香ばしく焼いた鯛のカマのお味噌汁。

桜鯛、さすが王者の風格を漂わせる、気品のある素晴らしい味わいだった。

この鯛のお椀を味わえたことで、私は満足でございましたわ。

母、またしてもモクモクと言葉を発せずひたすら食べる。





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ごちそうさま。

「もう本当においしかったわねえええ。やっぱりお魚はおいしいねえええ」

はいはい、そうですね。

(だけど私は、こういう魚責めは年に1回が限度かな・・・)









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帰りは勿来ではなく大津港に送ってもらう。

宿の周辺にある民宿は、開いている気配がなかった。



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車を運転してくれた宿の若い男性に客が戻ってきているか聞いてみたら
「お陰様でかなり来ていただいてます。一時期よりずいぶんいいです」
(ああ、よかった!)

「震災前の半分くらいまで回復しました」
(半分?!)

ちょっと言葉が出てこなかった。

まだ再開していない宿が多いようだが?と聞くと
「この辺、3月までは東京電力の補償の金が出ているので生活はできると思います。

でもどうなんでしょうかねえ、4月から再開できる宿が何軒あるか・・・
家族経営の小さな民宿が多いので・・・
そのまま廃業かもしれません」





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大津港駅。

すぐそばが海だ。今年は海辺に子供たちの笑い声が聞こえるだろうか。





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駅前の、古いレンガ造りの建物。



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北茨城の海辺、殺風景だけど、豊かな海の恩恵を受けた土地なのだ。










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この窓の向こうに、東海村がある。
北上すると福島原発がある。

帰ってニュースを見ていたら
「1週間ほど前に北茨城で獲れた鱸から、国の基準を超えるセシウム値が検出され、
出荷停止となった」と。

漁師のおじさんは目の前の桶にたくさん入ったヒラメを指さして
「30万~40万はするさ! おれたち、どうすればいいんだよ!」



まるみつで食べた鯛もヒラメも鱸もそのほかの魚も、とてもおいしかった。
もし私が食べた僅かばかりの魚から基準を超えるセシウム値が検出されたとしても、私は屁とも思わぬが。
母だってそうだろう。

そしてグラグラといっこうに定まらない国の方針や方策に不信感や不安感がますます助長され、
よく分からない<基準値>という言葉に振り回されてしまうのは、誰しもいたしかたないところもある。



原発事故後から報じられる「本日の屋外の放射線量」は、関東では概ね事故前の数値に戻っている。
地域によってはやや高くなる時があっても、翌日には戻るという状況だが
北茨城の数値はなぜかずっと事故前の2倍の数値を維持し続けている。

微量ではあるが変わらずに<2倍>であること、その状態が1年近く続いていることに
私はなにか嫌な感じを覚える。





「たしかに私たちは、その根底においてお互いを信じて生きてきていたのである。」

正直言って私は、未来の子供たちにこの言葉を発する自信がない。












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