三香温泉 清冽な。朝な夕なに。
大雪の降ったあとの東京はいい天気で、しかし雪はまだまだとけずに通勤路はツルツルに凍っている。
雲一つない。
上空から見る関東平野は真っ白で、私が今まで見たことのない風景であった。
それは不思議な景色で、どこか別の土地のように見えた。
岩手の三陸海岸の道路も、真っ白な雪に覆われている。
この上空を飛ぶたびに、心が痛む。
飛行機の中で上から見下ろす、という行為にもまた、嫌悪感をおぼえる。
瓦礫はどれだけ撤去されたのだろうか。
最近はテレビにも写らない。
3月になれば、2年が経つのだ。
3.11の直後は分からなかったことも、その後知人やその親戚など、思わぬところでその後の消息を聞いたり、
また当時の生々しい話を聞いたりもしたが。
遠い知り合いの、親戚の青年は、「逃げろ! 早く逃げろ!」と叫んで目の前で津波にさらわれていった父親の姿を思い出すと鬱状態になり、いまだに医者に通っているという。
割と近い知り合いの、
実家の石巻の弟は、
買ったばかりの車が津波に流されるのを手で抑えようとして流され、弟の嫁さんが果敢にも水に飛び込み弟を助けて、背負って戻ってきたという。
経験したことのない事態だもの、誰もが常識なんか吹っ飛んでしまったのだ。
石巻ではすべての物資が足りず、
震災直後ブルーシートやシーツ類も足りずに、自衛隊の隊員たちが発見されたご遺体をそのまま背負って安置所に向かっている姿を目撃した話などを聞くと、
その隊員たちもまた受けたであろう心の傷は、今は癒えたのだろうか。
道路の手前までは復興の助成金が出る。
道路の向こうの家には出ない。
なぜ?
向こう側の人は特にそう思うだろう。
あっちと変わらずこっちも被災しているのに。
なぜ?
天災にみまわれた、という事実の前には、私たちは手も足も出ない。
なすすべがない。
道路のこちら側も向こう側も。
しかし1本の線引きでそこに格差が生じる。そこからは人災だ。
その線引きを、「運」といっていいものだろうか。
そしてそこから格差が広がっていくことを、成り行き、と称していいのだろうか。
私たちは常に、その格差の線引きの理不尽さの芽を、そして黙認すればどんどん拡大していくその人災を、
見て見ぬふりをしてはならないと思う。
-20℃の世界は豊かだ。
冷たい外気に当たる自分の顔の肌のぬくもりを感じるために手で触れてみる。
手の先の冷たさと顔の肌の温かさの間にある空気の層が揺らいで、
白い静かな雪景色の中、私の生きている個体としての熱の循環が、ひっそりと行われている。
こんなふうに今日一日平穏に過ごさせていただき、感謝します。
帯の結び方に「ふくらすずめ」というのがあるが、そう、そんな感じでふくふくと丸く脹らんだスズメたちもまた、
羽の間に空気をたくさん取り込んで寒さをしのいでいる。
動物たちは寒さや冷気を乗り切るために、感嘆するような環境への適応ぶりをみせている。
アカゲラだけでなく、エゾリスやエナガまでもが牛脂に群がる。
確かにこの寒さの只中では、ヒマワリの種よりずっと効率よく脂肪を摂取できるはずだ。
植物たちの凍った幹の下には、根から吸い上げられる水が脈々と流れて、
一枚一枚の葉の先端の葉脈まで届いているのだ。
違う種の、様々な生命の驚きを
-20℃の世界は感じさせてくれる。
もっとも驚いているのは私だけで、彼らにとっては当たり前のことだろうけれど。
屈斜路湖は、音をたてているのだ。
湖は、その氷を自ら生成しながら、遠く、近く、ひそやかに。
時に激しく。
私の耳に、風の音と共に、ゴウゴウと、ギシギシと。
伝える。
太古からこの湖は、冬になるとこうやって鳴っていたのだ。
人間が聞こうが聞くまいが。
春がきて氷がとける日まで。
人間がけして作れない音を。
あの大津波もまた、自然が出した轟音をたてて押し寄せたのであろう。
私は屈斜路湖の岸辺に立ったまま、深くこうべを垂れた。
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