2012年12月14~16日

半年ぶりの三香温泉










半年ぶりの三香温泉で





天気予報を見るためにテレビをつけたら、フラダンスを習っている太めのおばさまたちが10人ほど映っていた。




半年ぶりの三香温泉で





健康のために、地域の高齢者の女性たちがフラダンスを始めて、
みんな元気で明るくなった、とのニュースである。




半年ぶりの三香温泉で





日頃あまり運動しない人たちが体を動かす習慣がついて、
それも激しい運動ではないから、みんなと一緒に楽しくできて元気になれる。いいことですよね、ということらしい。






半年ぶりの三香温泉で





おばさまたちはロングスカート、
ハイビスカスの髪飾りを着け首にレイをかけて、笑顔で手を水平にフリフリしている。




半年ぶりの三香温泉で



若い女の先生はけっこう厳しく指導している。

「ゆっくり、ゆっくりと。心を込めてくださいねー!
風が吹いて、はい!
そう、気の葉が揺れてー、
左 から右へ、ゆるやかに、そう、そして見上げて、はい、私は…あなたを…」










半年ぶりの三香温泉で

「動作にはすべて意味があるんですよー! はい!  両手を胸に!   そして!愛していまーす」



半年ぶりの三香温泉で

踊りの動作には意味がある……





半年ぶりの三香温泉で



そうか。

フラというのは、文字を持たない文化の踊りなのだ、きっと。

フラダンスには全く興味がなかったが、それは私が真のフラを見たことがないためで、
優れた踊り手の踊るフラは、きっと心を打つものがあるだろう。

踊りというのは、どんな舞踊であれそういうものだ。












半年ぶりの三香温泉で

少し調べてみると、当然ハワイにも激動の歴史があり、そしてハワイの先住民族は文字を持たなったばかりか、
アメリカ語圏に取り込まれその言語を使うことも一時は禁じられたという。
その後ハワイ州では英語と共にハワイ語が公用語となったが、現在母語として使う人はごくわずかということである。

しかしハワイ語を復活させるための教育も盛んになっているようだが。


          



半年ぶりの三香温泉で

純粋のハワイアン、かつて南方のポリネシアから小舟に乗ってやってきた勇敢な人々の子孫の数も、
そうとう少なくなっているらしい。
 





半年ぶりの三香温泉で

真のフラダンサーの踊りには、恐らくその民族の思いと歴史、誇りと悲哀と情熱がにじんでいるに違いない。
優れたダンサーの踊りには、見る人間の魂をかっさらっていくようなものがある。

そんなフラダンスは、私は一生見る機会がないだろうが。






半年ぶりの三香温泉で


そして、記録の媒体は人間の記憶に頼るしかないので、
恐らくは口承で伝えられる歴史や物語が豊かにあったのではないだろうか。

ハワイは私の興味の圏外であるからそれはそうとして、
北海道・アイヌの人たちもまた文字を持たなかった。






半年ぶりの三香温泉で


最近私はある本を思い出した。












半年ぶりの三香温泉で

うちの文庫の山の後ろのほうから
『アイヌ民譚集』(岩波文庫・知里真志保編訳)を引っ張り出して再読したのである。

知里真志保はアイヌ民族として生まれながら日本語で育ち、昭和初期の室蘭中学を経て一高に入学、そして英語とドイツ語で常に首席、という秀才であった。

彼が在学中3年生の時に編纂したようである。

      



半年ぶりの三香温泉で

この本には金田一京助先生が若き言語学者を絶賛する序がついているが、知里真志保は後記でその賛辞の一部を、若さのもつ潔癖感を現わすように、いとも鮮やかに切り捨てている。












半年ぶりの三香温泉で


「……金田一先生が本書巻頭の序文において「吾々ストレンヂャーによって歪められざる、純真な話し手の言語感情を知るために云々」と仰せられたのはやはり一般の先入観念によって、不用意にも歪められたお言葉である。私がその中に生れ、それと共に二十数年間生活して来た所の日本語においてこそ、本当の言語感情が湧くであろう。僅か数年の、それも総計して十回に充たざる帰省によって、片手間に獲た所のアイヌ語の智識は、いうところの「話し手の言語感情」なるものからは、未だまだ遠い所にあるのである。……」




半年ぶりの三香温泉で


そして

「……暗い陰に包まれている古い伝統を忘れ去って、一日も早く新らしい文化に同化してしまうことが、いまではアイヌの生くべき唯一の道なのであるから……」


(これは彼の本心だったのであろうか、と、読みながら私は思案するが)




半年ぶりの三香温泉で


「……捨てて置けば当然に跡形もなく朽果ててしまったはずの古い生活の断片を、僅かながらも私自身の手に掻き集めて後世に残すことを得た愉快さを私はしみじみと感ずるのである。……」












半年ぶりの三香温泉で

おそらく現在は、彼の望んでいたようになったのであろう。

……なったのであろうか?










半年ぶりの三香温泉で

本日は宿のご主人の三上さんは法事でお留守である。

ご近所の老人が亡くなって、地域の人たちがお手伝いに出かけているのだ。
代わりにすーさんが薪運びをしている。





半年ぶりの三香温泉で


なにせ優しくて働き者の三上さんは、引っ張りだこらしい。

法事の時には、旅館業に従事できず3日間くらいお手伝いに費やされるそうである。

         









半年ぶりの三香温泉で

      



半年ぶりの三香温泉で












半年ぶりの三香温泉で

向こう3軒両隣りに限定したって、おっそろしく広大なところにポツンポツンと民家が点在しているわけで、その地域っていったら面積でいえば相当であろう。





半年ぶりの三香温泉で


集会所のようなところでの法事だそうである。

お坊さんって、くるのかな。この辺、お寺見当たらないけど。

      





半年ぶりの三香温泉で


そういえば北海道って神社・仏閣が少ない。

本州では過疎といえど、家があればおのずとチラリ、ホラリ、と鳥居が見えたり、
あ、お寺だなって建物が見えたりするが、
たとえば道東のバスや車の車窓から、そういう風景を見たことがない。






半年ぶりの三香温泉で

函館や札幌などにあった記憶はあるが、弟子屈で神社・仏閣を見た記憶なし。

       



arohnd,left,半年ぶりの三香温泉で


半年ぶりの三香温泉で




left半年ぶりの三香温泉で


半年ぶりの三香温泉で


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半年ぶりの三香温泉で


半年ぶりの三香温泉で


半年ぶりの三香温泉で


      

半年ぶりの三香温泉で












半年ぶりの三香温泉で

お寺は檀家があってこその経営。

この地では寺院の経営は成り立ちませんね、確かに。




半年ぶりの三香温泉で

経済は現実に如実に反映される。

しかし……




半年ぶりの三香温泉で


たとえばヨーロッパの辺境の地、あるいはアジアの国々の人里離れた山の頂上などに建ち、いまも信仰の対象になっていて機能している教会や寺院は、何なのだろうかといえば、あれは明らかに信仰のシンボル的なもので、その隔絶されたようにみえる世界にも、信仰を通じての深いパイプ、信者の寄進や尊敬が常にあるから成り立つわけである。












半年ぶりの三香温泉で


神社・仏閣が少ないということは、明治以降の北海道において、信仰の対象の拠り所があまりなくても日本人は全く困らなかったということを示しているのかもしれない。








半年ぶりの三香温泉で

世界の動植物には絶滅危惧種が多々あって、それらは概ね人類のせいであり、
種の保存のために世界中で躍起となっているが、




半年ぶりの三香温泉で

そもそも動植物うんぬん以前に、人類は自身の種、つまり他民族を常に迫害し離散させ絶滅に追いやって、
あるいは同化させて消滅を図ってきたのである。



半年ぶりの三香温泉で

それはまぎれもなく、いまも続いているのだ。











半年ぶりの三香温泉で

ともすれば日常の中で忘れ去ってしまう事柄。



半年ぶりの三香温泉で

そんなことがたくさんある。



半年ぶりの三香温泉で

が、日常ということを言いわけに、日常に埋没させてしまう自分を、けして許してはならない。









半年ぶりの三香温泉で

少し湿った大きな雪の片が、風と共に果てしなく舞う。









半年ぶりの三香温泉で

この色の、この冷たい、世界が好きだ。



半年ぶりの三香温泉で

そして帰らなくちゃならないが。







半年ぶりの三香温泉で

空港のカウンターでは、おねーさんがすっ飛んできて
「雪のために東京からの便が…」

私はおねーさんの努力の省力化に協力して
「着陸できずに羽田に引き返すことがあるんですよね、了解しました」と言ってあげる。











半年ぶりの三香温泉で

東京は来た時と同じように、あるいはこの何日間かでまったく違った風景になったのかもしれない。





半年ぶりの三香温泉で

羽田でバスを待つ間、周りの若者たちは無言で
私の目にはなんとも虚ろな表情でスマホを操作していた。







半年ぶりの三香温泉で

ついさっきまで感じていた雪の一片が顔に当たって溶ける、その感触は思い出にストックされて、
これはもうまぎれもなく我が家へと帰りつつあるという意識が鮮明になってくると










半年ぶりの三香温泉で

待っている、いや、待ってはいないだろうがそこにいるはずの飼い猫の、
しなやかに伸びをする姿に思いを馳せる。

             















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