峰旅館での新年
日本人は新年を迎える行事を大切にしてきた。
すす払いをし、大掃除をして神棚を清め、暮れのうちにおせち料理を作り、餅をつき、門松を立てしめ縄を飾り、
宗教心はなくとも巡り来る年の初めの日の出を拝み、初詣に出かけたものだったけれど。
そういえば、幼い頃は当たり前の風景だった正月の獅子舞なども、いつの頃からか消えていった。
同時に幼い頃に聞こえていた様々な物売りの声や、それに伴う笛やラッパの音色などもなくなっていった。
江戸末期の商売とその有様を、自身の足と目で確かめて、膨大な記録を記した喜多川季壮尾張部守貞、
いわゆる『守貞漫稿』として知られるその記述の中には、
私の記憶にもある下町の様々な物売り、飴細工や新粉細工売り、納豆売り、ウナギ売り、
あるいは羅宇屋、鋳鉄屋、はたまた豆腐売、アサリ・シジミ売り、などの姿が、生き生きとしたイラストと文章で描かれている。
私の時代にはそれらの天秤棒は自転車になっていたが、江戸の生業はほぼそのままのかたちで昭和まで受け継がれていたのだ。
それらは人々が必要としない職業なので、消えるべくして消えていったのであろう。
私にはもはや形骸化されたものは一切不要なので、
月の終わりが31日であり、その翌日が1日であり、
それが新年と呼ばれる特殊な日であったとしても、つつがなくいつも通りに心静かに過ごせればそれにこしたことはないのである。
思えば、幼い頃は、一年は様々なイベントに満ちていた。
それが楽しいか楽しくないかは別として、その行事を心待ちにしたり、
あるいはまたあれをするのか、と憂鬱が伴ったり。
しかしその行事へのワクワク感、季節の気配や気温や風の強さなどとともに体にしみこんだ記憶として残っている。
だが年を追うごとに、かつての心待ちにしていた高揚感はとうに消え去り、
七夕であろうが七五三であろうが、テレビに一瞬映る単なる通俗な風景とあいなってきた。
しかし今度は皮肉なことに、のんべんだらりと過ぎてしまい兼ねない時間を自覚するための手立てとして、
とにかく暮れは暮れ、正月は正月、とカレンダーを眺める。
少なくとも年の瀬の31日を過ぎたら新しい年が始まり、
そのうちまた1歳年とるのか、という自覚をしっかり持たないと、
自分がいくつになるかも判然としなくなり、ええっと今年は2013年になったのだから、
自分の生まれた西暦を引くと……
…… ああ、そんな歳なんだわ、という有様となる。
季節を忘れないものたちの姿。
何事もなく静かに、穏やかに過ぎていく<時>を慈しむ。
時に、昨日の続きの何事もない今日であること、が、驚異に感じられる。
何事もなく明日に繋がるであろうこともまた。
そうでない時間を識る身には、
この寛大で明るい光が、無上の喜びであった。
いま苦悩のただ中にいる人々に、
早く安らぎのある時間が訪れますよう。
つらさや苦痛が流れ去っていきますよう。
いつか心から笑える時がきますように。
声を出して笑えている自分に気づくときに、
深い深い感謝がわいてくる。
星辰の傾きで時の流れを知り、
軒のツララの長さで日の移ろいを感じる。
そういう日があってもいい。
バス停の前の家の犬はとてもシャイで、通りのこちら側からカメラを構えても察知して、
さっさと犬小屋に入りこんでしまうのだが。
今日は人の出入りが多く、車で出かける家人の姿を、日向ぼっこをしながら目で追っている。
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