連休の、静かな峰
連休中の都心の喧騒は、
ここではまるで関係のない出来事だ。
静かな部屋のガラスの向こうに、かすかに聞こえる音がして
明るい日差しの中を、横切って飛んでいった虫の羽音であることに気がつくと
そんな自然の中の小さな音が聞こえるのが、ああ、どれほど貴重なことであるか、ということに思い至る。
様々な音や光や過剰な要らぬ情報にさらされている身には、
晴れやかな静寂の中を絶え間なく流れるお湯の音と肌をおおう涼やかさが、
なんとも贅沢で幸せであった。
時折新しい場所や違うお湯を求めたくもなるが、そこに違和感を感じたりすると、
慣れ親しんだお湯と、勝手知ったる部屋の間取りと、慎ましくちょうどよい食事との峰が懐かしくなるのだ。
相変わらずの風景の中に、
違う花が咲き、散っていき、また新たに咲き誇っていくのを垣間見たり、
あるいは一面の雪景色の下で冬を越す植物たちの営みを感じたりと、
同じように見えても、初めて見る風景に感動したりする。
緩やかに去っていく日常を、
ふと立ち止まって鮮明に際立たせてくれる風景と時間とがここにはある。
刺激や目新しさにあいたら、
繰り返しが細かなさざ波のように透過していく時間の重みが、
新たな発見の積み重ねとなって、
自身のいる位置をわからせてくれる。
ガラス戸の向こうをよぎる小さな昆虫の存在や、風にかすかに揺れている小さな植物の存在が、
人間が中心で世界は成り立ってはいないのだと、ひそやかに主張している。
ふと気づけば、いたく謙虚になって、
それらを眺め,
見つめていることに気づくのだった。
だがそういった環境も、泊まっている人の人数よって変わってくるので、
いつぞやのとんでもないラッシュ状態は何としても避けねばならないが、
あんなことは峰では前代未聞であったことで、
突然思い立って前日電話をして泊まりにきても、
たいがい裏切られることはないのだ。
それもまた、安心できることである。
その安心感はとんでもなく稀有であることが、そこそこあちこちの温泉地に出向いた身にはよくわかることであった。
そんな宿に出逢えて、そんな宿が存在し続けてくれることを、しみじみとありがたく思う。
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