群馬 沢渡温泉 とらや旅館へ 疲れを癒しに
9月のお得なJR<大休パス>で東北に行こうと思っていた。
震災後の被災地の海を、
この目で見ておきたかったのだ。
新幹線から在来線を使い、少なくとも2カ所、
石巻、釜石市に行こうと考えたのだが、
どうしてもやりくりがつかない。
決めかけると新たな問題が発生する。
日にちをずらすと、
また電話がきて、相手があることであり、予定変更となる。
宿も決められなければパスも買いにいけない。
なーぜーなーのー?
考えに考えて、ついに1泊2日、釜石市だけならなんとかなるか……
やがて気づいた。
なに!? 東北1泊2日じゃ、意味ないじゃん。
そして……
泣く泣く諦めた。
諦めるまでえらくエネルギーを使い消耗した。
なにやら仕事も急に忙しくなり、そっちでも消耗する。
3年前にはこなしていたことが、今ではなんと苦痛であることか。
あ~ 定年退職っていいよな~ こんなこといつまでやるんだろね、私は。
背中バリバリで肩こりの極致。
肌も心も荒れるわ~
東京の尋常でない暑さと湿度で、まともに本も読めない。
文字を見ると、思考停止状態で言葉が頭に入らず、同じ文字ばかり見ているのであった。
とにかく近場で息抜き&リフレッシュせねば。
身が持たない!!
久々にキュッと熱いお湯に入ってゴロゴロして、
本でも読めたらね。
熱めのお湯の入り方を思い出しながら、そう切望したのだった。
沢渡温泉 とらや旅館に電話すると、コール音が鳴り続けるが誰も出ない。
多分少ない人数でやっている宿であろう、また改めるべきか……
12回… 13回… 14回…
切ろうとした瞬間 「もしもし」
女将さんらしき女性が出た。
2泊したいむね伝えると
「17日は法事がありましてね。申し訳ないんですが、この前日はお泊めできないんですよ」
「では1泊で」
「いいですか? すみませんね」
法事は大事だ。
「2食付きだと8000円くらいになってしまいますが……」
言葉には出さないが、湯治宿だから食事抜きでもっと安くあげることもできますよ、との気遣いのある声で言ってくれた。
「2食付きでお願いします」
そしてなにより私は、
この声、この話しぶりの女性の手料理を、
ぜひ食べてみたいと思ったのだった。
「一人で切り盛りしてるので大人数は泊められないんです、最近は階段の上がり下りが大変になってね」
幅の狭い、昔の造りの階段は、私でもかなりおぼつかない足取りとなる。
「今日はお一人ですから、夜9時までお風呂はご自由にお入りください」
掃除の行き届いた、木造3階建ての湯治宿である。
テーブルの上には手作りのお饅頭が置かれており……
冷蔵庫には手作りの紫蘇ジュースが冷やされていた。
女将さんによると、小風呂のほうは温度調整されていないので熱すぎて入れませんから、
とのことだった。
確かに、源泉が小さな湯船にどんどん投入されて、溢れて流れる床もとんでもなく熱くなっている。
けれど風呂があるのに鑑賞だけっていうのもね~
ここは全館貸し切りの特権を有効に活用して、
時間がかかったが、なんとか小風呂入湯!
無理やり入る意味はないんだけど、そこはそれ、
入ったわ!という達成感を得たいわけですよ。
そして熱いお湯の、
けれどなめらかに肌を潤す柔らかな当たりと、
初めてのお湯はご挨拶程度で、と思いつつも、頭から雑事がどんどんなくなっていくことに快感を覚え、
もうちょっと、もうちょっとと時間が経ってしまう。
壁のペンキが湿度と劣化で剥落して、
まるでポロックの描くポーリングのような模様になっている。
ポロックもこんな色遣いに目覚めていたら、彼の人生そのものが変わっていたかもしれない。
もっとも、あのエナメルの黒あってのポロックであるが。
今年、日本でも彼の生誕100年の記念の展覧会があって観にいったのだが、
若き日のポロックの習作や彫刻を見て、
そこから窺い知れるそのあまりのインフェリオリティ コンプレックスの塊に、
驚いてしまった。
模索する習作。それらの委縮ぶり。
自分の絵画に対する劣等感、女性に、性に対する劣等感、多分自分の容姿に対する劣等感。
ある意味、分かりやすいってば、たいへん分かりやすかった。
それらの若き日の習作を見る限り、お付き合いはしたくないわね~ という人である。
彼はそれを一生引きずっていたのだろう。
「 Is it a painting ? 」
ある時自分の絵を指差してある人に聞いたそうである。
色彩、色の要素からことごとく美しさを排除し、
塗り重ね、また塗り重ね、破壊され否定された挙句の色素の残滓。
そしてその後、
隠し持った情念のほとばしりを表す手段としての黒いエナメルを、彼は手に入れた。
彼の作品を観る時、
水平に置かれたキャンバスの上を、筆を持って恐らくは戦闘のように激しく動き、絵具を飛び散らせ、描いたのであろう、
その痕跡と荒い息遣いと、筆の先と線と絵具の飛沫を追う彼の目の行方を、
私は追体験する。
ジャクソン ポロックのある時期の Painting は、そんな圧倒的な切迫感を伴った
しかし見る側にとって、なんというスリリングな体験をもたらすことか。
明らかに岐路に立つ小作品があった。
私はかつてその写真しか見ていなかったので、壁にかけられた横長のキャンバスの
そのコンパクトさに戸惑いを覚えた。
ああ、ここで彼は、どちらの方向に進むか迷ったに違いない。
(売れる<絵画> 評判のいい<Painting> へ?)
そしてその後アルコールに依存しながら、
再びの劣等感と、批評家と画商によって自分に冠されたレッテルの重圧にあえぎつつ、
自分の見えている道を模索していったのだろう。
フルスピードでの車の交通事故の最期まで。
でも、こういう芸術家とは、同じ屋根の下にはいたくない。
恋人はおろか、家族でも親戚でも友人でもないほうが無難である。
私はそれを知っている。
遠くで鑑賞できるのがいちばんいい。
あの展覧会では、多分予算が厳しかったのだろう、
大規模を謳った割には作品が集まっていないような印象を受けた。
もちろん、主要な作品はあったが。
ポロックは高くなりすぎて、集めてくるのも大変なんだろう。
そして展覧会というのは、
その企画と、そして学芸員たちとの質で大きく左右されるものであると感じる。
いい展覧会になるかどうかは、とどのつまりは予算はさることながら、
展覧会をつくる側の、その作家への<愛> がどれほど深いかによって決まるのではないだろうか。
ジャクソン・ポロックのことを考えさせてくれた風呂場とお湯は、
その後、私にアボリジニの天才画家 エミリー・カーメ・ウングワレーのことを考えさせ、
やがてあることに思い当たった。
持ってきて数ページ読み進めた本の文章は、
このところ曖昧だった思考にある方向性をもたらしてくれた。
肩こりや憂鬱な労働のことも忘れさせてくれた。
75歳になる女将さんのつやつやのお肌と笑顔を見ていると、たいへん幸せな気持ちになった。
それはつまり私が、
明日も元気に生きていける、ということである。
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